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福岡地方裁判所小倉支部 平成6年(わ)370号 判決

主文

被告人を無期懲役に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和三八年三月佐賀県の県立高校を卒業後、証券会社、土木建築会社、ボイラー販売・修理業の各従業員をした後、昭和四七年ころ北九州市内でボイラー販売・修理業を始め、昭和四八年秋にA子(昭和二四年九月一二日生)と結婚し、同女との間に、昭和五〇年九月二三日長女B子が、昭和五七年八月二七日長男Cがそれぞれ誕生した。

被告人夫婦は、未熟児として出生したCが三歳になっても言葉を話すことができなかったため、昭和六〇年一一月児童相談所で診てもらったところ、一歳半程度の理解力しかないとの判定を受けた(その後、平成三年五月に児童相談所で重度の精神障害〈精神薄弱〉との判定を受けている)。被告人は、Cにこのような障害が発生したのは、A子が妊娠中、被告人が止めるのも聞かずにバイクに乗り続けたのが原因であると考え、A子を内心で恨むようになったが、このことを口に出してA子を非難することはしなかった。被告人夫婦は、Cをあちこちの病院で診てもらったり、専門施設に通わせるなどしたが、さしたる効果が上がらなかったので、昭和六二年末ころ、知人から紹介を受けて知った宗教団体の甲野会にA子とともに入信し、以後約三年の間に、借金するなどして合計約五〇〇万円の寄付をしたり、滋賀県にある本部に数十回足を運んで研修を受けるなどして熱心に信仰に励んだ。しかし、Cの障害に何の改善の兆しもみられなかったことなどから、被告人夫婦は、平成三年春ころ甲野会を脱退して信仰を止めてしまった。被告人は、Cが、体の方はどんどん大きくなるのに、赤ん坊の言うようなことしか話せない様子を見て哀れに思い、その将来を考えると不安であったが、A子との間でCの将来について話すことはなく、この問題は被告人夫婦の間では一種のタブーとなっていた。

一方、B子は、学習塾に通い始めた平成元年九月ころから頻繁に中学校に遅刻するなどして生活が乱れ始め、平成三年四月地元の私立高校に入学したものの、遅刻、欠席、校則違反などの問題行動を繰り返し、同年の夏休みころから無断外泊も始めるようになり、被告人やA子が叱りつけても一向に改めず、しばしばA子が学校から呼び出されて注意を受けた。

被告人は、客としてときどき通っていたスナックで知り合ったホステス(以下「愛人」という)と同年一一月肉体関係を結び、A子との淡白な夫婦生活とは比較にならないほどの快楽を得、それからというものは愛人のことが忘れられなくなり、毎日のように電話をするなどして交際の約束を取りつけ、同女との密会を始めた。愛人は、妻子ある身の被告人との交際は大人の遊びであると当初から割り切っていたが、被告人は、当時、Cの障害が今後も良くなる見込みがないことやB子の非行化に手を焼いていたことなどで精神的にかなり疲れており、これらの家庭内の問題から逃避したいという気持ちもあって、愛人との関係にのめり込んでいき、平成四年一月には家族のことを忘れて同女との一泊旅行を楽しんだ。被告人は、愛人から今住んでいる所は日当りが悪いので引っ越したいと聞いたため、同年二月同女のために適当なマンションを見つけて借りてやり、それ以来、仕事の合間などを見つけては昼夜を問わずほとんど毎日のように右マンションを訪れて同女と肉体関係を結ぶなどしたほか、スナックへの同女の送り迎えをした。また被告人は、愛人のために衣類や装身具、家具などを買い与え、小遣い銭を手渡した。愛人は、同年四月ころ被告人との間の子を妊娠していることが判ったが、被告人と相談して中絶手術をした。その後、被告人は愛人から、今後はこのようなことのないように避妊手術をするよう求められ、同年六月パイプカットの手術を受けた。被告人は、同年八月にも愛人とともに二泊旅行をした。

A子は、被告人の浮気に気づいた様子はなく、浮気を疑うようなことは言わなかったが、被告人がCの世話をしないで家を空けがちになったことなどに不満を持ち、被告人に対し次第に冷たい態度をとるようになった。

一方、その間にB子の問題行動はいっそうひどくなり、平成三年九月には喫煙で警察に補導され、同年一〇月には無断外泊で五日間の停学処分を受け、同年一二月には深夜徘徊で警察に補導されるなどした。被告人夫婦は、平成四年三月、B子が成績不良で高校二年に進級できないことが分かったため、学校からの勧めもあって同女を退学させ、同年四月から北九州市内の専門学校に通学させたが、同女の深夜徘徊、外泊は激しくなっていった。被告人は、自分が頻繁に外泊するなどして愛人との関係を続けており内心やましいところがある手前、B子を堂々と叱責することができず、苛立ち紛れに、B子のしつけをちゃんとしろなどとA子を非難するなどして、A子との間でしばしば口論になり、そのようなことから、ますます家庭が面白くないと思うようになった。

被告人は、愛人と過ごしていると家族の問題を忘れて安らぎが得られるように思えて、同女との関係にいっそうのめり込む一方、A子との口論が絶えないこと、Cの障害が回復する見込みがないこと、B子の非行がますます悪化していることなどから、家族の存在をわずらわしく感じるようになり、平成四年夏ころ、A子に対し、「Cはよくなる見込みがないし、B子も言うことを聞こうとしない。家にいても喧嘩ばかりで面白くない。別れよう」などと別れ話を切り出した。ところが、A子から、「何を言っとるとね。Cはどうするんね」と言われるなどして、離婚の申出をはねつけられたため、被告人は、離婚を諦めざるを得なかったが、被告人には自分の生活態度を改めてA子と仲良く生活していこうという気がなくなっていたため、同女との仲は更に悪化していった。被告人は、同年九月初旬、再びA子に対し、「B子が不良になったのも、Cの知恵遅れもお前のせいだ。もう疲れた。一人になりたい。別れたい」と離婚話を切り出したことから、A子と口論となり、同女は激怒して家を飛び出して実家に帰ったが、数日後に帰宅し、結局、離婚話は立ち消えになった。

他方、愛人は、被告人が同女との関係にのめり込んでいることは分かっていたが、次第に被告人の性格等の嫌なところが気になり始め、同女の気持ちを考えることなく自分の都合で頻繁に会いに来る被告人を疎ましく感じるようになり、同年一〇月ころから、被告人に対して冷淡な態度をとるようになった。被告人は、愛人がそのような態度をとり始めたことに落胆し、同年一一月一四日、同女の反応をみるため「別れようか」と切り出したところ、愛人から即座に同意されてしまった。被告人は予想外の同女の反応に驚き、同女にすがりついてやり直そうと懇願したものの、同女が応じないため、やむなくマンションの合鍵を同女に返した。被告人は、その後も愛人に電話をかけたり同女方を訪ねたりして、同女によりを戻してくれるよう懇願したが、同女から拒絶されたため、愛人のことを忘れて家族に目を向けようと考えるとともに、家族に対するそれまでの態度を反省し、A子に対し、今まで苦労をかけて悪かった旨述べて詫びたところ、同女は被告人の改心した様子を見て、いつかは帰ってきてくれると思っていた旨述べて大変喜び、数日間は円満な夫婦関係が続いた。

しかしながら被告人は、愛人に対する未練がすぐに高じてきて、同年一一月下旬、再び同女に関係の復活を懇願したところ、同女がこれに応じたため関係が復活した。しかし、被告人が、愛人に何かと尽くし、同女の歓心を買うために同女を受取人とする傷害保険に加入するなどして、同女の機嫌を取り続けたにもかかわらず、以前のような親密な関係に戻ることはなかった。

被告人は、平成五年一月中旬ころ、愛人と肉体関係を持った後、早朝に帰宅した際、既に起き出していたA子から、あんた前と変わってないやないねと冷たい軽蔑するような口調で非難された。そのころはすでに、A子との関係は再び冷え切ってしまっていたので、被告人は、家庭にいても面白くないとの感じを強め、家族の存在を以前よりいっそう疎ましく感じて、家族が交通事故で死んでくれたらいいなどと思うようになり、同年二月初旬ころからは、家族を殺せば自由になることができるなどと漠然と考えるようになった。

被告人は、同月一三日夕方愛人宅を訪れ、翌日(バレンタインデー)も来ていいかと尋ねたところ言下に断られてしまい、昨年のバレンタインデーのときとはすっかり様変りしてしまった同女の態度に意気消沈し、鬱々とした気持ちで同日午後七時ころ帰宅の途についた。

被告人が自宅の近くまで来ると、立ち話をしていた近所の主婦に「お早いですね。久しぶりですね。(奥さん達は)外出してありますね」などと言われたので、嫌味を言われたように感じて立腹しながら帰宅したところ、家には誰もおらず、石油ストーブの灯油が空になっており、食事の支度もされていなかったため、いらいらした気分でストーブに灯油を入れて暖房をつけ、軽食を作って酒を飲み始めた。被告人は酒を飲みながら、愛人との関係や家族のことなどに思いを巡らせ、愛人との関係は行き詰まってしまったものの、だからといって、問題行動を繰り返して親の言うことを聞こうとしないB子、仲が冷え切ってしまい口論の絶えないA子、将来に希望のないCのことを考えると、家族だけに目を向けて暮らしていくことなど到底できない、家族がいなければ自由になり、愛人とよりを戻せるかもしれないなどと考えた。次第に、被告人の頭の中は、家族の束縛から自由になり愛人との親密な関係を取り戻すためには、自分が家族を殺すしかない、殺すなら今日やるしかないという考えで一杯になり、その考えから抜け出せなくなっていった。

被告人が右のようなことを考えていると、同日午後八時ころ、A子、B子及びCが外食を済ませて帰宅した。被告人は、先に帰宅している自分の姿を見ても「あら、帰っとったん」などと言うだけで気遣う様子も見せないA子や、帰って来るなりいきなり電話がかかって来なかったかと突っかかるような口調で尋ねてきたB子の態度を見て、同女らに対する憎しみを覚え、殺意の念をいっそう高まらせた。被告人は、その後、Cを風呂に入れた際、無邪気なCの様子を見ていったんは殺意の念を弱めたものの、風呂から出ると、B子がいつものように長電話をしており、叱りつけても反抗的な態度をとって電話を切ろうとしないので、再び一人になりたい、一人になるには家族を殺すしかないという考えが頭に浮かんできて、家族と顔を合わせているのがつらくなり、同日午後九時ころパチンコ店に赴いた。被告人は、パチンコをしながら、金属バットで殴りつけて気絶させた上で殺害すれば、三人とも首尾よく殺せるのではないか、賊が押し入って自分だけが助かったことにすれば罪を免れられるのではないかなどと考えていたところ、パチンコを続ける金がなくなったので、同日午後一〇時ころ自宅に戻った。被告人は、その後Cを二階の被告人夫婦の寝室に連れていって寝かせつけ、翌一四日午前零時ころには、A子が就寝のために二階の寝室に上がって行き、B子もすでに二階の同女の部屋に上がっていたので、一階の居間で本格的に殺害方法について考えを巡らせ、金属バットで殴って気絶させた上で灯油を撒いて火をつけて殺せば血を見なくても済むし証拠も残らない、自分の頭を金属バットで殴っておいて強盗が押し入ったことにすれば言い逃れができるなどと考え、そのように考えがまとまると実行の決意も固まってきた。そこで、被告人は、同日午前二時ころ、倉庫から灯油の入ったポリタンク一個と金属バット一本を持ち出して玄関内に置き、外から賊が押し入ったことにするために玄関のドアの鍵を開け、一階の居間で家族が寝静まるのを待った。同日午前二時三〇分ころ、被告人は二階に上がり、まだ起きているB子に対していつまで起きているのかなどと叱りつけて一階の居間に戻った。同日午前三時三〇分ころ、B子の部屋から物音がしなくなったので、被告人は、前記のとおりの家族殺害の考えを実行に移すことにした。

(犯罪事実)

被告人は、家族三名を殺害するため、平成五年二月一四日午前三時三〇分ころ、北九州市小倉南区《番地略》所在の被告人方において、玄関に用意していた金属バット一本を持って二階に上がって行き、A子(当時四三歳)とC(当時一〇歳)が就寝中の被告人夫婦の寝室に入り、就寝中のA子に対し、両手に握った金属バットでその頭部を殴りつけ、「痛あい」と言って体の向きを変えた同女の頭部を更に続けざまに二回殴りつけて同女を気絶させた。

次いで被告人は、就寝中のCに対し、両手に握った金属バットでその頭部を続けて二回殴りつけて気絶させた。

すると、B子(当時一七歳)が、被告人の気づかぬ間に起き出していて、右寝室の入り口付近で被告人の犯行を目撃し背後で悲鳴を上げたので、驚いた被告人は同女を追いかけて同女の部屋に入ったところ、B子が被告人の金属バットを奪おうとして金属バットにしがみついてきたため、二人で金属バットをつかんで引っ張り合いになったが、被告人はB子から金属バットを取り返し、同女は床に尻餅をついて倒れた。

被告人は、B子が、顔の前に両手を出して殴られるのを防ぐような姿勢をとり「パパ、ごめんなさい、ごめんなさい。学校をやめます。仕事をします。家も出て行きます。盟主様、盟主様」等と言って必死に命乞いをするのに対し、「もう遅い」と言うや金属バットで同女の頭部を殴打し、さらに、倒れた同女の頭部を続けて二回金属バットで殴りつけて同女を気絶させた。

被告人は、玄関に用意しておいた灯油の入ったポリタンクを持って二階に上がり、A子とCのいる被告人夫婦の寝室に入り、気絶しているA子とCの身体や布団の上に灯油を撒き、A子の倒れていたそばのシーツにライターで火をつけると、A子が身体を少し起き上がらせたので、同女の頭に手を当てて押し倒し、次いでB子の部屋に行き、気絶している同女の身体の上及びその周辺に灯油を撒き、同女の背中付近にあったクッションに火をつけ、よって、そのころ、A子、B子及びCが現に住居に使用する自己所有にかかる木造セメント瓦葺二階建居宅(床面積合計約七六・七一平方メートル)を全焼させて焼燬するとともに、その場で右三名を焼死させて殺害した。

(証拠)《略》

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の本件犯行当時の責任能力について、鑑定人福島章(以下「鑑定人」という)の鑑定(鑑定人作成の精神状態鑑定書〈精神鑑定書補遺を含む〉及び鑑定人の公判供述)に依拠して、被告人は、本件犯行当時、物事の是非善悪を弁識しその弁識に従って行動する能力が著しく低下していて、心神耗弱の状態にあった旨主張するので、以下判断する。

一  鑑定人作成の精神状態鑑定書(精神鑑定書補遺を含む)及び鑑定人の公判供述によれば、この点についての鑑定人の見解は概ね次のとおりであると認められる。

1  被告人は、本件犯行当時、Cの重度の精神障害、B子の非行、A子との不和、愛人との関係の悪化等に基づくストレスと、被告人自身の気分の変動しやすい素質とが相俟って、心因性の軽度の抑うつ状態にあった。

2  一方、被告人の脳には、形態学的には脳梗塞巣等の、脳波学的には脳機能水準の低下等の多くの異常所見が認められ、そのため、被告人は、気分変化や衝動性が高く、カタストローフ反応(破綻反応)が惹起されやすい状態にあった(これを微細脳器質性障害という)。

3  被告人は、本件犯行当時、抑うつ気分に支配されて自殺念慮や絶望感が持続していたところ、右の微細脳器質性障害のためにカタストローフ反応が引き起こされ、動機の形成過程において攻撃対象の逆転が生じて、偶発的に自殺(拡大自殺、心中)ではなく殺人(家族殺人)を酩酊下に発想し、被告人の本来の人格からは到底了解が困難な動機を形成して、衝動的に本件犯行を実行したものである。

4  したがって、被告人は、本件犯行当時、自己の行為の是非善悪の判断に従って自己の行為を制御する能力がかなり著しく低下していた可能性がある。

二  そこで、右鑑定の当否について検討する。

関係証拠によれば、被告人は、本件犯行当時、Cの重度の精神障害、B子の非行、A子との不和及び愛人との関係の悪化等により、ストレスの多い状況におかれており、憂うつな精神状態にあったことが優に認められる。

しかしながら、本件全証拠を検討しても、被告人が本件犯行を決意した当夜、自殺ないし心中を意図していたことをうかがわせる証拠はない。被告人は、鑑定人との三回目の面接の際には、本件犯行の一か月か二か月前ころ、自殺を何度か考えたことがあり、Cとの父子心中を考えたこともある旨述べ、鑑定人との四回目の面接の際には、本件犯行直前にも一家心中を考えたことがあるように述べており、鑑定終了後の公判では、本件犯行の二、三か月前ころ、二度ほど一家心中を漠然と考えたことがある旨述べている。しかし、被告人の右各供述は、内容が一定せず、あいまいで漠然としていること、被告人は、捜査段階では右のような供述を全くしていないことを併せ考えると、仮に被告人が本件犯行前に自殺ないし心中を考えたことがあるとしても、それは、本件犯行よりもしばらく前の時期に、自殺ないし心中の考えが漠然と頭に浮かんだことがあるという程度以上のものではないと考えられるから、被告人の右各供述から、被告人が本件犯行を決意した当夜自殺ないし心中を意図していたと推認することは困難である。加えて、被告人は、捜査段階及び公判廷においては、本件犯行を決意するに至った当時に自殺ないし心中の考えがあったとは述べていない上、捜査段階においては、本件犯行を決意するに至った当時には自分が死ぬことは考えておらず、自分だけが助かる方法を考えていた旨述べていること、その他の関係証拠を調査しても、被告人がその当時自殺ないし心中を考えていたことをうかがわせる証跡はないことを併せ考えると、その当時被告人にそのような考えがなかったことは明白である。

そうすると、被告人が本件犯行を決意する段階において、鑑定人の見解にあるような、自殺(拡大自殺、心中)から殺人(家族殺人)への攻撃対象の逆転が生じたと考えることはできない。

そして、関係証拠によれば、被告人は、判示のとおりの経緯で家庭内において孤立し愛人との関係も気まずいものとなっていたため、家族の束縛から逃れ愛人との関係を回復しようとして本件犯行を決意し遂行したものと認められるところ、被告人が右のような経緯・動機で本件犯行に及んだことは、被告人の人格に照らしてみても格別不自然とはいえず、了解が可能である。

したがって、本件犯行の動機が了解困難であり動機の形成過程において攻撃対象の逆転があったことを前提とする鑑定人の見解は、その前提事実を認めることができないから、採用することができない(付言するに、鑑定人は、被告人の脳には多くの異常所見が認められるというが、鑑定人作成の精神状態鑑定書及び鑑定人の公判供述によれば、脳に右のような異常がある場合それがその者の性格や行動にどのような影響を及ぼすかについての調査資料は現在まだ乏しく、前記一2の鑑定人の見解も確たる根拠に基づくものではないことが認められ、鑑定人自身、被告人の脳の異常が、被告人の気分変化や衝動性と関連している可能性があり、さらには、カタストローフ反応が惹起されやすい状態を作り出した可能性があるということしかいえないことを認めている。そうすると、前記一2の鑑定人の見解を直ちに採用することはできず、鑑定人の指摘する被告人の脳の異常所見が被告人の行動等に及ぼす影響については明らかでないというべきである。)。

なお、前記のとおり、被告人は、本件犯行当時、憂うつな精神状態にあったけれども、鑑定人作成の精神状態鑑定書を含む関係証拠によれば、その程度は軽度であって、物事の是非善悪を弁識する能力やその弁識に従って行動する能力を著しく低下させるようなものではなかったことが明らかである。

三  その他本件全証拠を検討しても、被告人が、本件犯行当時、物事の是非善悪を弁識する能力又はその弁識に従って行動する能力が著しく低下した状態にあったことを疑わせる事由は見当たらず、右各能力が著しく低下した状態にはなかったものと認められるから、弁護人の心神耗弱の主張は採用できない。

(法令の適用)

以下において、「刑法」とは、平成七年法律第九一号附則二条一項本文により、同法による改正前の刑法を指す。

罰条

殺人の点 被害者ごとに、刑法一九九条現住建造物等放火の点 刑法一〇八条 科刑上一罪の処理 刑法五四条一項前段、一〇条(各殺人と現住建造物等放火との間にはそれぞれ一個の行為で二個の罪名に触れる関係があるから、結局以上を一罪として最も重い現住建造物等放火罪の刑で処断)

刑種の選択 無期懲役刑を選択

未決勾留日数の算入 刑法二一条

訴訟費用の不負担 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

(量刑の事情)

一  本件は、非行化した長女に手を焼き、重度の精神障害を持つ長男に治癒の見込みがないことを気に病んでいた被告人が、愛人との不倫の関係に溺れて家庭を顧みなくなった結果、妻との関係も悪化させ、家庭内において孤立するとともに、愛人との関係でも行き詰まってしまったところ、わずらわしい家族から自由になり愛人との親密な関係を取り戻すためには家族を殺害するしかないと思い込み、深夜、妻、長男、長女の三名を次々と金属バットで殴打して気絶させた上で灯油をかけて火を放ち、同人らを殺害するとともに同人らが現に住居に使用する家屋を全焼させたという殺人及び現住建造物等放火の事案である。

二  被告人の本件犯行の動機について、弁護人は、被告人は、不仲となっていた妻、非行化が進んでいた長女及び重い障害を抱えた長男との家庭生活から逃れたい一心で行ったものである旨主張し、被告人も公判廷において、家庭生活に何の希望もなく、それから逃れたくて本件犯行に及んだのであって、愛人とよりを戻したいという考えはなかった旨供述する。

しかしながら、既に認定したとおり、被告人は、本件犯行に至るまで一年余りの間にわたって愛人と交際を続け、その間、同女に住まいを提供し、衣類、装身具、家具や金員などを与え、求められるままに避妊手術までして同女の歓心を買うことに腐心し、同女との間でいったん別れ話が出たときもよりを戻してくれるよう同女に懇願し、同女を受取人とする傷害保険に加入するなどして、同女に対し著しい執着を示していること、被告人が翌日の訪問の申出を愛人から拒絶されてひどく落胆したことが本件犯行の大きなきっかけになっていること、さらに、関係証拠によれば、被告人は、本件犯行当日通夜の始まる直前に早速愛人宅に電話をかけて無事を知らせ、その後も何度も同女に連絡をとるなどして、同女とよりを戻すことに努めていること、被告人が捜査段階において、家族三人を殺すという思いの根底には愛人の存在があり、愛人がいなかったら本件犯行に及んでいなかったと思う旨述べ、捜査段階及び公判廷において、犯行当時、愛人が同情してくれるという期待感があった旨述べていることなどが認められることに照らすと、本件犯行の動機は、被告人にとってわずらわしい存在になっていた家族との生活から逃れ、行き詰まっていた愛人との関係を回復することにあったといわざるを得ない。

そうすると、本件犯行の動機は甚だしく自己中心的かつ短絡的であって、同情の余地はないというべきである。

三  本件犯行の態様は、判示のとおり、犯行の数時間前に思いついた計画に従って予め金属バットと灯油を用意し、被害者らを順次右金属バットで殴りつけて気絶させた上、その身体等に灯油を撒き火を放って焼死させ、かつ、被害者らが現に住居に使用する建造物を全焼させたという、筆舌に尽くし難いほど誠に凄惨、残虐なものである。

そして、本件犯行の結果、被害者らは、気絶させられて逃げることのできない状態におかれた上で、全身の表面のほとんどが炭化するまで燃やされて殺害されたものである。被害者らはいずれも殺されなければならないような事情や落ち度は全くなく、よもや自宅で、夫であり父である被告人の手によって、このような残酷な殺され方をするとは予想すらしていなかったに違いない。

1  妻のA子は、被告人が愛人を作り家庭を顧みなくなったことにより、それまで以上にCの世話やB子のしつけを押しつけられ、これらの問題に一人で対処しなければならなくなった上、被告人から唐突かつ理不尽に離婚まで求められて精神的に苦しめられた挙げ句、被告人に殺されたものである。被告人が愛人との関係をいったん諦めてA子にそれまでの行いをわびた際に同女が大変喜んだこと、その後しばらくの間は被告人と同女の関係が良好であったことなどに徴すると、同女は被告人に対する愛情を完全に喪失していたのではなく、同女が被告人に対して日ごろ冷たく接していたのは被告人が一向に家庭を顧みないことに対する抗議ないし非難であって、同女は被告人が再び家庭に目を向けてくれる日を待っていたものと考えられる。にもかかわらずA子は、その期待も空しく、結局被告人によって、家庭に目を向けてもらうどころか子供達ともども惨殺されたのであって、同女の無念さは察するに余りある。

2  B子は、本件犯行の二、三年前から非行が目立ち始め、本件犯行当時は無断外泊、シンナー吸入などの問題行動を繰り返していたものではあるが、関係証拠によれば、同女は、生活態度にルーズな面はあったものの、気立てが優しくひょうきんで多くの友人から好かれる性格の持ち主であったこと、同女が友人などの前で、両親の不仲を気にかけ、自分がその原因ではないかと思い悩んでいたことが認められるのであって、これらのことからすると、同女は、問題行動に出て被告人夫婦の手を焼かせてはいたものの、その内面においては両親を気遣う優しい心根の持ち主であったとうかがわれる。同女の問題行動は、思春期特有の一時的なものであった可能性もあり、被告人が、愛人との関係に埋没することなく、暖かくかつ毅然とした姿勢でB子に接していればいずれ改善をみたかもしれないものである。深夜、自宅において、自分の父が就寝中の母と弟を金属バットで殴りつける光景を見た際のB子の驚愕と、その後その父が自分に向かって襲いかかってきた際に同女が感じたであろう恐怖の念はいかばかりであったかと思われる。被告人は、同女が「パパ、ごめんなさい」などと必死で命乞いする言葉に耳を貸さず、「もう遅い」の一言の下に、同女の頭部を金属バットで数回殴りつけて気絶させ、灯油を撒いて焼き殺したものであって、まだ一七歳の若さで命を失うことになった同女の無念さもまた察するに余りある。

3  Cは、重度の精神障害を有していたものの、そのことは何ら同児の責めに帰すべき事由でないのはいうまでもなく、被告人夫婦の愛情を受けてすくすくと育っていた。被告人に金属バットで殴られた際同児が発した「エーン、エーン」という泣き声は、自己の感情や思いを言葉で十分に伝えることができなかった同児が必死の思いで発した苦痛と恐怖の叫びと認められる。にもかかわらず被告人は、このCの必死の叫びに耳を貸すことなく殺害行為を遂行したのである。その結果Cは、すべての子供たちが、障害のあるなしにかかわらず等しく享受することができるはずの自己の人生をわずか一〇歳にして自らの父の手で絶たれてしまったのであって、同児の心情を思うと余りにも不憫である。

四  また、本件犯行の結果、深夜、閑静な住宅街において被告人の自宅が全焼するほどの火事が発生している。幸いにも近隣住民が被告人宅の物音を聞きつけて早期に火災を発見し消防署に通報して消火活動がされたことなどにより、近隣には大きな被害を与えることなく済んだものの、灯油を使用したため火のまわりが極めて早く、消防隊員が現場に到着した際には隣家の家屋に類焼寸前の危険が生じていたのであり、本件放火が近隣の住民に与えた恐怖感、不安感は極めて大きかったと認められる。

さらに、夫であり父である者が自宅に放火して妻及び二人の子供を殺害したという凄惨かつ残虐な本件犯行が社会に与えた衝撃も誠に多大であったと考えられる。

五  以上の事実に加えて、被告人は、外部の者による犯行という当初の計画が、近隣の住民が予想外に早く駆けつけたことにより頓挫しそうになるや、自己の罪責をあくまで免れようとして、本件をこともあろうに自らの手で殺害したばかりのB子の家庭内暴力による犯行に咄嗟に仕立てあげ、本件犯行から一年三か月余り後に逮捕されて言い逃れができなくなるまでB子の犯行であると言い続けていたのであって、被告人の右行為は亡くなったB子を甚だしく冒涜するものというべきである。しかも、被告人は、本件犯行当日通夜の始まる直前に愛人宅に電話をかけ、数日後には同女とホテルで会い、その後も、被告人の事件への関与を疑っていた愛人にB子の犯行であると強弁して、愛人とよりを戻すことに努めているのであって、被告人の犯行後の行動も甚だ悪質であるといわざるを得ない。

六  A子の両親は、娘のA子が孫たちともども、その夫である被告人により殺害されたことにより多大な精神的打撃を受け、被告人に対して極めて厳しい処罰感情を抱いている。

七  以上のとおり、被告人の本件犯行の動機、態様、なかんずく殺害方法の残虐性、結果の重大性、特に殺人の被害者数、現住建造物等放火による公共の危険の発生、遺族らの被害感情、社会への影響、犯行後の情状の悪質さなどの事実を総合考慮すると、被告人の刑事責任が極めて重大であることは論を待たず、被告人に対する量刑を判断するに当たっては、死刑の適用も考慮に入れて考えざるを得ない。

八  そこで、被告人がなぜ、本件の如き凶悪無惨な重大犯罪を実行してしまったのかという点を更に検討する。

被告人は、昭和四九年に業務上過失傷害罪で罰金刑に処せられた以外、前科前歴もなく、愛人と知り合うまでは健全な社会人として、真面目に就労しつつ、地域の少年のスポーツ活動を指導するなどしていたものであり、また、Cに重度の精神障害があると判明してからは、あちこちの医療機関に相談したり、専門の施設に通わせたり、熱心に信仰に励むなどして、数年間にわたりCの障害の治癒を願って被告人なりに懸命に努力していたものである。しかし、平成三年春ころ、Cの障害の治癒の可能性がないと悟り、以来、精神的にかなり落ち込み、Cの治癒不可能な障害やB子の非行化などの家庭内の問題から逃避したいという気持ちになっていたところ、たまたまそのころ知り合った愛人と肉体関係を持って今までに経験したことのない大きな快楽を得たことをきっかけとして、それまで浮気とは縁遠い生活を送ってきた反動もあって、愛人との関係にずるずるとのめり込み、その結果、家庭の不和を大きくして問題をいっそう悪化させ、愛人への依存を更に深めるという悪循環に陥り、愛人との関係の中だけに心の安逸を求めるようになっていった。ところが、愛人との関係も次第に悪化してきたため、精神的に追い込まれ、次第にものの見方が狭まって冷静かつ合理的な判断ができなくなり、一種の心理的な視野狭窄に陥った挙げ句、家族をみな殺害すれば自由になり愛人との関係もよくなるのではないかと衝動的かつ短絡的に思い込み、本件犯行に及んだ。関係証拠によれば以上のように認められる。

そうであるとすれば、本件犯行の動機自体は極めて自己中心的かつ短絡的であって同情の余地はないけれども、本件犯行に至った経緯等については、被告人のために酌量すべき余地が若干あるものと考える。

まず、被告人が愛人との関係にのめり込んでいった大きな原因の一つに、Cに治癒不可能な障害があったことがあることは間違いないと考えられるところ、Cにそのような障害があったことについて被告人に責任がないことは明らかであり、被告人は、Cの障害が判明した後、父親としてCの障害の回復を願って精一杯努力してきたものと認められる。その努力にもかかわらず、一向にCの障害に改善の兆しが見られなかったことから、被告人がそのことに失望し、精神的に疲れてこの問題から逃避したいという気持ちを抱いたことについては心情的には十分同情できるものである。

次に、被告人が本件犯行を実行するに先立ち、予め灯油の入ったポリタンクや金属バットを準備するなどしていることからすると、本件が計画的犯行の一面を持つことは否定できないが、他方、被告人が、本件犯行以前には、漠然と家族がいなくなればと願うことはあっても、本当に家族を殺そうと思い立ったのは本件犯行のわずか数時間前のことであり、それまでは具体的な殺害方法までは考えていなかったことに照らすと、本件は衝動的な犯行とも評価できるものである。

九  続いて、被告人の人格等について考察する。

被告人は、既に認定したとおり、愛人と交際を始めるまでは、健全な社会人として社会及び家庭での生活を送ってきたものであり、愛人と知り合ってからも、就労して妻子を養育すべき義務は果たしてきた。被告人のそのような生活歴やさしたる前科がないことに本件犯行の衝動性をも併せ考えると、被告人に犯罪傾向が備わっているものとは考えられず、被告人が犯罪を繰り返すような反社会的な性格の持ち主であるとは認められない。そして、被告人は本件で逮捕されてからは真摯に自己の行為を反省悔悟し、現在は被害者三名の冥福を祈る日々を送っている。被告人には更生の可能性が十分にあるというべきである。

一〇  その他、本件現住建造物等放火により被害を受けた隣家三軒のうち、一軒については被告人本人が一二万円の、もう一軒については被告人の母が七五万六〇〇〇円の被害弁償をしていることなどの事情もある。

一一  そうすると、特に前記八及び九の点を考えると、前記のとおりの悪質な情状の数々を考慮に入れてもなお、当裁判所としては、被告人を極刑である死刑に処することには躊躇を感じざるを得ず、被告人を無期懲役刑に処して、終生しょく罪に当たらせるのが相当であると判断する。

(裁判長裁判官 浜崎 裕 裁判官 氷室 真 裁判官 太田敬司)

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